特別寄稿「白鷺会の50年-鈴木秀彦(第1期生・OB会初代会長)氏に聴く」


 ☆当時の部活のエピソード
今からちょうど50年前、獨協大学が松原団地に設立されてすぐに起きた新潟地震に直面した一期生たちは、自分たちにも何かできることがあるのではないか、という思いからボランティア部(社会福祉研究会)を設立しました。有志を募ったところ、60人以上の学生が集まり大変精力的に活動にあたっていたと聞きます。これは当時、現在ほどの学部数、生徒数が在籍していなかったころの人数ですので、非常に多くの学生の目にとまったといえます。
そして、白鷺会という名前のルーツですが、当時の獨協大学はグラウンドが蓮華畑だったので、白鷺がよく降りて羽休めをしていたところが頻繁に見ることが出来ました。その風景をたまたま目撃した一期生たちが、白鷺会という名前をつけたのです。
また、大学が設立された1964年という時は、福祉と政治や宗教が無関係ではない時であったため、思いどおりに活動することができなかった団体が多かったようです。そのような時代の中、せめて自分たちは政治や宗教に関わらず自分たちの力で活動していくというのを共通の信念、希望としました、そうして結成された白鷺会一期生たちは児童福祉を中心に活動を行い、50周年を迎える現在までそれは続いてきたのです。

☆今の後輩たちへ伝えたいこと
先述したように、新潟地震に直面し、集まった彼らは同じ信念、希望を持った仲間でした。全員が一丸となり、子供たちや障がいを持つ方々、地域の方々などと交流を深めつつ、また協力しあいながら現在まで活動してきたのです。したがって、現在のわたしたち現役で活動している部員、これから入部してくるだろう未来の後輩たちには、同じ方向を向き、みんなで力を合わせて活動にあたっていける仲間になってほしいと仰いました。これはわたしたち現役の部員も、これから入ってくるだろう未来の後輩たちに唯一望むことでもあります。

☆この部活をやっていてよかったと感じる瞬間
共に活動し、同じ気持ちで同じ方向を向ける仲間を持ち、それが長く続いていることを見ることができること、またこうして話すことが出来る機会を得られたことがとてもうれしく思うとのことです。

☆つらかったこと、大変だったこと
創部した当時は、政治や宗教など活動の壁になるようなことも多い辛い時代のように感じられましたが、意外にも辛いことや大変だったことはほとんどなかったようで、目標や信念が共通化され、固い結束があった一期生たちは、内部分裂や活動でのトラブルも少なかったようです。50年の間、目立ったトラブルなどを聞かなかったのは、この考え方が受け継がれてきたからなのかも知れません。

*本稿は、獨協大学創立50周年を記念して学友会が刊行する記念誌に掲載する予定の原稿で、白鷺会OB会の初代会長である鈴木秀彦(第1期生)氏に当時の石井貴士白鷺会部長(現・OB会副会長)がインタビューをし、そのお話をとりまとめて原稿化したものです。ご本人および白鷺会のご了解を得て掲載させていただきました。



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